2009年07月02日

ドイツ人振付家のピナ・バウシュ(Pina Bausch)さんが6月30日、ドイツ西部ブッパタール(Wuppertal)市内の病院でがんのため死去



ドイツ人振付家のピナ・バウシュ(Pina Bausch)さんが6月30日、ドイツ西部ブッパタール(Wuppertal)市内の病院でがんのため死去した。68歳だった。バウシュさんが所属し35年以上にわたり芸術監督を務めてきたブッパタール舞踊団(Tanztheater Wuppertal)が明らかにした。 がんと診断されてからわずか5日後の突然の死だったという。

 1940年7月27日、ドイツ西部のゾーリンゲン(Solingen)生まれ。55年にエッセン(Essen)のバレエ学校に入学し、表現舞踊「Ausdruckstanz」の創始者であるクルト・ヨース(Kurt Jooss)の指導を受ける。

 58年に卒業した後、奨学金を得てニューヨーク(New York)に渡り、名門ジュリアード音楽院(Juilliard School of Music)でアントニー・チューダー(Anthony Tudor)、ホセ・リモン(Jose Limon)、メアリー・ヒンクソン(Mary Hinkson)ら著名振付家のもとで学ぶ。

 米国の舞踊団やバレエ団でダンサーとして活躍したあと、62年にドイツに帰国。60年代後半になって振り付けを始める。当初は奇抜な表現ゆえに当惑した観客が途中で退席する姿も見られたが、自身のスタイルが確立するにつれ熱狂的なファンを増やしていき、現代舞踊の第一人者になった。

 73年に新設されたブッパタール舞踊団の芸術監督に就任。今月下旬にはモスクワ(Moscow)で開催されるチェーホフ国際演劇祭(Chekhov International Theatre Festival)で公演する予定だった。
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Pina Bausch/ピナ・バウシュ YouTube

★Pina Bausch/ピナ・バウシュ
1940 年ドイツのゾーリンゲン生まれ。14 歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でクルト・ヨースに師事。18 歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダーの勧めによりメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・パレエ団などで活動。1962 年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969 年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学の教授にもなっている。同年の作品「時の風の中で」がケルンの国際振付家コンクールで1 位を獲得した。1973 年のヴッパタール舞踊団の芸術監督就任。ドイツ表現主義



舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼ぶ。
1983 年フェデリコ・フェリーニ監督の映画『そして船は行く』に出演している。 また、2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品『トーク・トゥ・ハー』の冒頭で代表作である「カフェ・ミュ
ラー」を彼女自身が踊っている。 1999 年坂本龍一オペラ「REW LIFE」に出演している。

ピナ・バウシュ(Pina Bausch)YouTube

◆1940年ドイツのゾーリンゲンに生まれ、14歳から、ヴッパタールに近いエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でドイツ表現主義舞踊の巨匠クルト・ヨースに師事し、ダンサーとして頭角を現した。

同校を首席で卒業後、18歳のとき国費留学生としてニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院 舞踊科に入学。そこで心理パレエの振付家として有名なアントニー・チューダーに出会い、彼の勧めでメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・パレエ団に参加し、またジュリアード音楽院で同じマイムのクラスをとつたポール・テイラーらと活動して、2年間アメリカの現代舞踊の隆盛の時期を過ごした。

1962年に帰国後、フォルクヴァンク舞踊団でプリマ・パレリーナとして活躍。のちフォルクヴァンク芸術大学の教授となり、69年フォルクヴァンク舞踊団のために振付けた作品「時の風 の中で」がケルンのコンクールで1位を獲得したのを契機に、ヴッパタール市立劇場から作品の 依頼を受け、クルト・ヨースの後継者となって独自の舞踊を確立することに邁進。

1973年にピナ・バウシュはヴッパタール市立劇場パレエ団の芸術監督・振付家に就任し、 その名称を「タンツテアター・ヴッパタール」と改名。当時は一地方都市の舞踊団にすぎな かったが、彼女の個性的な創作活勤によって世界の舞踊界で注目されるようになった。ピナ・バウシュは現在に至るまでの4半世紀の間に、今世紀初頭に始まつたノイエ・タンツの様式をさら に発展させ、演劇的手法で表現するオリジナルな舞踊芸術を確立した。はてなより

◆ピナ・バウシュ(Pina Bausch 本名Philippine Bausch,1940年7月27日 - 2009年6月30日)はドイツのバレエダンサー、バレエ・コンテンポラリー・ダンス振付家。

来歴
1940年ドイツのゾーリンゲン生まれ。実家はカフェレストラン。

14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でクルト・ヨースに師事。18歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダーの勧めによりメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・パレエ団などで活動。

1962年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学の教授にもなっている。同年の作品「時の風の中で」がケルンの国際振付家コンクールで1位を獲得した。

1973年のヴッパタール舞踊団の芸術監督就任。

ドイツ表現主義舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼ぶ。

1983年フェデリコ・フェリーニ監督の映画『そして船は行く』に出演。 1999年坂本龍一オペラ『LIFE』に出演。 2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品『トーク・トゥ・ハー』の冒頭で代表作である「カフェ・ミュラー」を彼女自身が踊っている。

2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で死去した。日本での最後の公演は、2008年3月。


作品
『春の祭典』(1975年)
『七つの大罪』(1976年)
『カフェ・ミュラー』(1978年)
『カーネーション』(1982年)
『ヴィクトール』(1986年)
『パレルモ パレルモ』(1989年)

受賞歴
1999年高松宮殿下記念世界文化賞
2006年ローレンス・オリヴィエ賞
2007年京都賞
2008年ゲーテ賞(独)[1]
posted by secoolguy at 07:59| Comment(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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